ネットに繋がるという事

勝谷誠彦氏のメルマガを購読している。
きっちり毎朝届くメルマガは内容が濃い。賛同できる話も賛同できない話も色々あるが、流石物書きを生業とされている方だけあって、有料で読む価値は十分にあると思っている。
 
その勝谷さんは今フィリピンの小さな島に居るそうで、小さな集落にある小さな宿から宿屋の青年が置いている無線LAN経由でノートパソコンをネットに繋ぎ、ニュースを見たりメルマガを書いたりしてるんだとか。
それが急に不安定になって苦労している(実際配信が遅れた)話が、そのメルマガの冒頭に書き加えられていた。
 
今はPCにしろ携帯にしろ、有線・無線で簡単にネットに接続できる。
機械を操作するとネゴシエートが始まり、プロトコルが同期し、パケットが流れ、セッションが終了し、通信が終了する。そんな事が日常の陰でごく当たり前の様に行われてる。
モデム通信の頃は、機器を設置して自分でATコマンドを書き、モデムがピーギョー叫ぶ音を聞きながら繋がるのを待ったものですがね。あの音を聞いていると「あれ、今日はbpsが低いな、雑音多いのかしら」とか、なんとなく分かったものでwww
そういう手間(ハードル)があったせいか、ネゴが終わってPPP認証が通った時、"自分のパソコンが世界に繋がった"という実感があり、やり取りする情報(内容、サイズ、相手などなど)を今よりもずっと意識していた気がする。
 
自宅も会社も常時接続の環境なので、自分の意識とネットの距離が非常に近い(というか繋がっている)という錯覚に陥る事も多い。今日のメルマガの遅れを見てネットに繋ぐことが一仕事だった頃を思い出し、情報格差(通信環境格差?)の存在を改めて意識した。
インターネットという言葉すら知らずに暮らす人や、繋ぎたくても繋げない(地理的・経済的・政策的等、理由はそれぞれ)人、過酷な通信環境でFD1枚分のデータを送るのに膨大な時間を要している人など、我々には想像し難いネット環境の人たちもまだ多く居る。地球と国際宇宙ステーションでさえ安定したデータリンクが存在するのに、地上に居ながらネットと離れた暮らしをする人たちがいる。
 
恵まれた環境にいる我々は、それを有効に使えているのかしら?