Facebookに感じてた事

本やWeb上、そして会社内などの身近でもFacebookを使って活動の場を広げている人をよく見るようになった。しかしその一方で自分のFBのページを見るとどうしても追いついていないガッカリ感を感じてしまう。

Facebookが、誰もがCMの中の幸せそうな人たちのようにスタイリッシュな生き方ができるようになる、というツールではないって事は、みんな分かっていたと思う。
Facebookはリア充のためのSNS
妙に納得できた。

いろんなところにどんどん顔を出してアクティブに動いているような人は、FB上でも記事が充実しているし、本人も生き生きしている。
たぶんそういう人はFBが無くても生き生きしているんだろうな。

そういう空間に”お前も始めようよ!”的に始めてしまった人間が入り込んでしまうと、「そもそも発信する情報がない」。そして「身の丈以上の事をしようとして疲れる」。
結婚していて子供もいて最近ペット飼いだしたりちょっとブランド物を検討する余裕があったり料理が趣味だったり自宅の部屋の写真を表に出しても恥ずかしくないくらい部屋が綺麗だったり・・・という方々に対して、30過ぎてまだ独身で持ち家もなく派手に遊んだり買い物をする余裕もなく休日は主にソロ活動orネット上の知り合いと過ごす程度、という非リア充Facebookという空間でどうやって渡り合えばいいのか。いや渡り合う必要はないんだけど。なんかやっぱり楽しそうでいいなーとか思っちゃうじゃないですか。

しかし、自分みたいな非リア充の生活を発信して誰が得をするのかって話。

そもそも、誰かが誰かと友だちになったとか、誰かがおしゃれな店に出かけた話しとか、誰が晩ご飯に何を食べたとか、ふと素に戻って眺めてみるとそんなん別に知りたくもない。
もちろん気心知れた知人・友人ならツッコミの一つでも入れるところだけど、上司だとか、取引先のお客さんとか、そういう微妙な距離の相手に対してはアクションが取りにくいというのが正直な感想だったりするんだよなぁ。
そこらへんが海外発のFacebookと日本の空気感とのギャップなのかな、とか。

ハッキリ言っちゃうと、距離感や絡み方の深さを微調整できるtwitterのほうが居心地がいいんですよ・・・。