7年6ヶ月

8日の判決公判で福岡地裁は、酒酔い運転ではあったものの、正常な運転ができないといえるほどではなかったとして、危険運転致死傷罪を認定せず、脇見運転などが原因として業務上過失致死傷罪などで懲役7年6か月の判決を言い渡した。(抜粋)

(ソースは痛ニュー
 
危惧されていたことが現実になってしまった。
そもそも飲酒運転がなぜ禁止されているのか、と問いつめたくなる。
 
飲酒運転をしても正常な運転ができるなら刑が軽くなる?
ほぼ直線の橋の上で大型のRV車にブレーキを踏まずに追突する運転が正常な運転?
逃げて証拠隠滅を図っているのに、過失?
危険運転致死が適用されないってことは、「飲酒運転は危険運転でない」と公に認めてしまったって事?
 
相手を死に至らしめるという結果が同じでありながら、通行人を包丁で斬りつけるのと車の事故とでは全く違う扱いになるのが不思議でたまらない。
あくまで「事故」であった場合を考慮して判断するマージンが必要なんだ、とかいう説明を聞いたことがあるが、同じ事故にも様々なパターンがあると思う。
 
飲酒して運転するのって「不特定の相手に対する殺意を持って包丁を持ち歩いているのと同じ悪意」があるのと同じじゃない?
なのに、運転時の状態を本人の証言を基準にしていたりするんだからおかしすぎる。事故時にグデングデンに酔った状態であっても、検挙に時間がかかってアルコール検出ができず、本人が「確かに飲んでた。申し訳ない。でも運転に問題ない状態だった」と言い張れば、今回のような判断になってしまうってことでしょう?
 
もちろん、その反対の場合、つまり「本当に飲んでないのに飲んでいただろうと言われ、それを否定する」というシチュエーションもあるから、一方的な判断は危険だとする指摘も理解できる。
けど、今回の場合は周囲の人間も含めて飲んでいたことを認めているんだから関係ない。
 
正直、疑問だらけの裁判。
検察側がきちんと控訴して常識的に納得できる判決を得なければ、「逃げて隠れて証拠隠滅すれば、(仮にそれらがバレバレであっても)刑を軽くできる」なんていう、法治国家として恥ずかしい判例が成立してしまうよ。
 
 
その一方で、被害者側の夫婦にもちょっと疑問を感じる点が。
私は(幸いにも)直接見ることはなかったのだが、テレビで事故後に生まれた子供の出産を報道させるとか、ちょっと常識がなさすぎやしないか。
彼らの身に降りかかった運命は確かに悲劇だと思うけど、あまりに悲劇のヒロインぶるのは見ていて不快。身内のイベントである出産にテレビカメラを立ち会わせるとか、「ヒドイ目に遭いました。でもこんなにがんばってます。どうぞこの子の為にも応援してね☆」的な意図が感じられて、なんだか複雑な気持ちになってしまう。
仮にTV局が無理に頼み込んで来たのだとしても、最終的にカメラの立ち会い・放映を許可したのは彼らなのだし、言い訳はできないと思う。っつーか、この夫婦の周りの人間とかはどう思ってるのか聞きたいわ。
 
 
至る過程とその後の経過は色々あるが、やはり事故というのは恐ろしい。
そしてこういう判決を見るたびに、裁判官という人間をもっとみんなで監視し、批評し、支援しなければいけないのかなと思わされる。
そして何より、飲酒運転という行為が罰せられるべき恥ずかしい行いであるということに気付かない人がまだまだ居ることに、恐怖を感じた。